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佐野の子どもはいもフライのある場所で大人になる マイ いもフライ・メモリー

さのまるが腰にさしたものは刀ではなく“思い出”です

vol32_p03_02佐野人にいもフライのことを尋ねると、必ず個人的な思い出が掘り起こされる。芋を蒸すか茹でるかして串に刺し、衣をつけて揚げたら、ソースをつけて食べる。この単純明快なソウルフード、戦後まもなく絹織物工場の女工さんへリヤカーで行商したのが始まりというのが有力な話だが、歴史をたどれば諸説あり、佐野以外の両毛地区、さらには埼玉にまで及ぶ関東圏や、遠くは静岡県にもこの「いもフライ」的ソウルフードが存在することが確認されている。ただし決定的な違いがひとつ。現在、佐野市内にある「いもフライを食べられる店」は40軒以上。さらにスーパー、居酒屋などを入れるとその数はさらに膨大になる。ひとつの市の中にそれほどまでに小売り店が存在する地域は明らかに佐野をおいて他にはないだろう。

そんなわけだから一家に一軒、マイいもフライ店。「うちは昔からここ」「もうなくなったけど小さい頃はあの店」「ばぁちゃんちに行くとあっち」「子どもが生まれてからはこの店」…佐野人には自分だけの「マイいもフライ」がある。芋の茹で方蒸し方、串への刺さり方、衣の厚さ、ソースの種類(あるいは「先がけ」か「後がけ」か)。そして、そんないもフライの数だけそれぞれにマイいもフライ・メモリーがあるのだ。

今回取材をした出流原弁天池のほとりにある『福寿荘売店』さん。店いっぱいに貼り出された子どもたちの絵には、店主の小倉ご夫妻の呼び名「けんにい」「えみねえ」の名がズラリ。画用紙で手作りされた子ども用のポイントカードは病院のカルテのごとく店に保管されている。親御さんと来ていた子どもがあっという間に大きくなり、小学生になれば友だち同士で来る。さらに中学になれば部活帰り・塾帰り、この春は無事高校に合格したことを報告に来てくれた子もいたという。

文化会館の北、とみあさ公園前の人気店『ぽっぽや』さんは、家出少年を見つけたことがあった。ある日の夕方、大荷物を抱えた少年が店の前に立っていた。なんとなく顔がくもっている。店主の若田部さんは、いもフライを食べながら語る少年の言葉に耳をかたむけた。新しい部活になじめず、学校にも家にも行き場をなくしたという少年。とにかく黙って少年の話を聞き続けた。一旦帰路にはついたが、夜、気になって見回りにきたという若田部さん。しかし少年の姿はなかった。数日後、警察と家族からの御礼の電話で少年の無事を知ったときは、心からほっとした、と語る。

子どもにとって「家と学校」「内と外」、その中間のような場所が「いもフライ店」「いもフライを食べる場所」。そして子どもたちは、そういう中間の場所でこそ成長するのかもしれない。佐野の子どもたちにとっていもフライのある場所は、そういうかけがえのない場所であるに違いない。だからこそ大人になっていもフライを語る際、どうしても個人的になってしまうのだ。マイいもフライ・メモリー、今日もどこかでもう1本…。

今回は、そんな佐野の一大ソウルフード「いもフライ」をクローズアップ。昭和少女マンガでいうところの「今まで近くにいすぎて気づかなかったよ」的、幼馴染みのあんちくしょうワールドにて、いざいもフライへ壁ドン! いやいもフライからの壁ドン!? ドギマギしたりしなかったりしながらご堪能あれ!

できれば好きなお店のいもフライを食べながら。